先日、元スポーツ選手の話を伺う機会がありました。
その方は、「天才」と言われながらも、世界で活躍することなく選手生命を終えられました。その方の話がすごく印象的でした。
「私は天才と言われるほどスキルも身体能力もありました。
自分で言うのもおかしいですが、監督やコーチがいつも見本として見せる位でした。
でもそれは高校まで。
私は、練習をさぼるのが得意でした。
コーチや監督も、私は資質があるからまあサボっても、当日頑張ってくれたらいい、と見逃してくれていました。
他の人達は、とにかく必死に練習をしました。
才能のない人たちは大変だなあって思っていた自分がいました。
でも、いざ大学にスポーツ推薦で行ったら、テクニックはあるけれど体力がついていかない。
疲れるとサボってしまうから、試合に出る回数も徐々に減ってきました。
そうなると、才能のないはずの人達を優遇するのが許せなくて、指導者に反抗しました。
正直、ずっと自分の才能を過信しすぎていたんです。
結局、社会人になるときに、私をほしいという企業は一つもありませんでした。
その時に、頑張ってきた人たちに言われました。
私はあなたみたいに天才じゃないから、頑張りました。
だから、才能はないけれど、そのほかでカバーできるものを見つけることができました。
あなたは天才なのに、自分の技術を磨いてこなかった。
私にあなたの才能があったら、もっと成功していたと思います。
そういわれた時に、やっと解ったんです。自分の愚かさに。
それから必死になってみても良いのに、そこでも私は逃げました。
だから、今、私はこんな風になってしまっています。
でも、この世界で私は天才ではない。
だから、今、私は必死になっている。もっと早くに気づけていたらと悔やむことはある。
でも、負け犬にはなりたくない。
それは私の意地ですね。」
そんな過去があった人だったなんて。
素敵なリーダーなので、お話しを伺ったらそんな話をしてくれました。
私は素人考えなのかもしれませんが、全員に原石はあるものだと信じています。
だからこそ、その原石を磨きたいのですが、そもそも自分の原石が何か、気づくことさえ難しい。だったら何でもやってみた方が、原石は見つかりやすいのかなと。
その原石が見つかったら、磨けばいいんですものね。
原石を磨く期限があるのなら、とにかく磨いてみるしかない。
思うのですが、私は、今、自分の原石はちゃんとは見えてないです。でも、自分が信じた原石は磨いて、前よりは磨けていると思います。見つかってなければ、信じて磨くしかない。
今、信じている原石は、自分で見つけたものでもありますが、周りの人から見つけてもらったものでもあります。
周りに感謝しながら、輝くまで磨いてみたいと思います。
あなたの原石は何ですか。
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