何か物を見る時に、「Aに気づいた?」と言われても、Aを見ていてねと言われないとみられない人も居ます。
でしたら、見て欲しいものは「Aを見ていてね」と視点を伝えてから見てもらえば見られるかも。
ある時、意識してやってみたけれど、思った以上に「Aを見て」と言ったのに、「A、確かにあったけど、それが何?」と言う感じでした。
これはかなりショックな出来事で、私としては「説明が悪かったのか?」と思い反省したのですが、次も説明を変えてみても同じ。
何が良くないのか解らなかったのです。
見て欲しい人達に、Aは見えたけれど、Aの何を見たらよいのかが解らなかったそうなのです。
「そうか。Aを●●のために観察してほしい」
これならどうだろうか。
●●のために、と加えた事で、6割位は気づけたのですが、4割の人は「だから、こうでしたよね」と。
あれ?現象が見えているならば、●●のためにその現象がどういう意味を持っているのか。どういう違いがあるのか。などは感じ取れないのだろうか。
「●●のために、Aが起こる時とそうでない時は何が違うのか、探してみて」
と伝えてみました。
やっと9割の人に伝わり、しかも感じ取ってくださる事も的を射ていました。
色々試行錯誤しましたが、ここを見て、と視点を伝えるだけでは、それは本当に見るだけ。
しっかり意図を汲み取って、観て学んでほしければ、「視点を創る」事を伝える側もしていかなければならないんだなと感じました。
今更こんなことに悩むのか、と思われてしまうかもしれませんが、伝える相手が違うたびに、相手との視点創りには悩みます。
どんな言葉なら汲み取れるのだろうか。
視点を自ら学んでもらうために細かい方が良いのか、そうでない方が視点が拡がることもありますし、どちらを望んでいるのか。
とは言え、大人に考えてもらうのは、視点を創るというプロセスが非常に大切な気がしています。
そして、その事が、コーチングの質問にもいかれていくように感じています。
まだまだ発展途上ですので、これからも「視点を創る」事を楽しんでいこうと思います。
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