自己認識をしようと思っても、なかなかできないのは自分では当たり前なことは気づきづらいということ。
特に、無意識にしてしまっているほど、反射的になっていることに関しては、頭で考えるよりも、無意識の行動について気づくことから始まる気がします。自分で気づかなければ、周りの人から見て「何しているんだろう?」と思うことを言ってもらうだけでも違うと思います。
先日、クライアントさんとこんな話をしました。
「私は最近◯◯でイライラしちゃいました。その時にイライラした気持ちをコントロールできるようになりたい。」と。
イライラすると判ったのはなぜか。
イライラした時には、身体にどんな反応が現れているのか。
自分の中でつぶやいている気持ちは?
そんなことを話しながら居ると、どうやら「逃避行動」をしているということに気づかれました。
では、何から逃げたいのか。
にげて何を得たいと思っているのか。
周りに与えた影響はどのようなものか。
色々掘り下げているうちに、「相手に◯◯と思われたい」「自分は△△な人でありたい」など自分の中に隠れていたものがみえてきたそうで、「そう言えば、その場面じゃなくても、こういうことしている」「そう言えば、逃避行動をしている時には、□□という行動で、感情を抑えようとしていた」など、どんどん話しているうちに、客観的に、しかも具体的に自分のことを振り返ることができました。
だとしたら、同じような場面があったら、次はどうしましょうか」
と最後の伺うと、「☓☓する」というような行動で、感情がコントロールできそうだとご自身で見出されました。
「一人でやってたら、きっと見つからなかったこともありますね。最初から客観的に見てくれる人、それを伝えてくれる人が居ることで、自分も客観的になっていくことを体験しました。面白いですね。
しかも、今に始まったことではなくて、イライラまで行ってなくても、逃避行動をして、自分なりに感情をコントロールしようとしていたけれど、その行動自体は、周りには悪影響だったかも、と再確認できた。
自分のことって、知っているつもりだけれど、無意識のことも言語化することで、初めて気づく自分も居るんですね。面白い。
周りの人に私もやってみようと思いました。望まれればですが。」
私自身もこのクライアントさんの言葉で、自分のことを自分で振り返りはしても、結局大きな気づきがあるのは、周りに指摘された、無意識にしてしまっていることに気づくことから始まっていることは大きいなと感じました。
ほんの少しでも、周りから言ってもらう時間を作るというのは、これからもしていこうと思いました。
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