第三者に向けた言葉のつもりでも・・・

「あなたに言ったつもりはない」と思うことも、その人に向けたものだと思われた事ってありませんか。
きっと、人間って、聞く側が自分ごととして受け止める才能を持っているのではないだろうかと感じています。

「居なくなればいいのに」「すごくウザい」他にも生死に関わる言葉であったり、トゲのある言葉は数多く存在します。
それを私に言っているわけではないとしても、誰かに向けた言葉を聞くのは、本当に辛いです。私にトゲが刺さるように感じる瞬間でもあります。

「そういう言葉は止めようよ」と言ったところで、溜まっていた気持ちを吐く術を暴言を吐くという事だけしか持ち得ないのか、「だったらどこで吐けばいいの?」と言われると、聞くのは辛くても、他に危害を加えるよりも良いだろうと思って聞く。
その都度、「そろそろいいよね」と止めるものの、自分を正当化しすぎているように見えてきて、どんどん距離を取りたくなるのに、聞く人が居なくなったら、この人はどうなるのだろうと思うと、やっぱり聞いてしまう私。

このループから抜け出せないまま長い年月を重ねてきたけれど、初めてここで発する事にしました。
それは、発している人に気づいてもらえたら嬉しいけれど、それ以上に、私と同じように、ずっとじっと聞いている立場の人も居るのではないかと思ったからです。

小さい頃から父に怒鳴られてきた私ですが、父は私の言動は叱るけれど、私自身を否定はしなかったです。私自身が全否定された気分に陥るほど言われた事はあっても、それでも言動が変われば、その事に関して叱られる事はありませんでした。
けれども、まるでその人の存在そのものが悪だと言うような発言を聞くのは、父に叱られ続けた頃よりも心が痛いです。

言っている人は、本当にその言葉を吐いて、気持ち良いのだろうか。ストレス発散になるのだろうか。決してそうではないと思います。
だからこそ、もっともっとひどい言葉になっていくのではないかと思います。

そこで、思い切って、ある程度聞いたら、その場は逃げるという選択をすることにしました。
自分のためでもありますし、相手の感情コントロールを促したい思いもあります。
ときに逃げる事も大切な気がします。

そんな自分に「逃げるなんてだめ。ちゃんと止めようと言い続けないと」と思って、聞いては伝えた時期もありますが、今は、逃げて、落ち着いたら、止めない?と提案することにしています。
どれだけ聞くのが辛いのかも伝える事にしています。

それが良いのかどうかはわかりません。
でも、私は、暴言を吐く人自身が嫌いなわけではないし、苦手なわけでもないです。
人を傷つけるような暴言を吐く行為と距離を置きたいだけなのです。
だから、人自身を嫌いなわけではないからこそ、止めてほしいよと伝え続けたいし、時に自分の心が潰れないように逃げます。
それでいいんじゃないかと今は感じています。

もしかしたら、その人が暴言を吐くすべしか持っていないように、私が今手に入れた術は一つなので、他の術がこれから見つけられるのかもしれないけれど、第三者に発した言葉も、聞くのは辛いものですよね。

私と同じような思いをしている人がいらっしゃるとしたら、たまには逃げてみてほしいです。あなた自身も可愛がってあげてほしいです。

小林 里江

好きな言葉は「前進」「一期一会」

笑顔がキーポイント!人の「成幸」をサポートし、相手の笑顔を引き出す事が私のモットー。
個人や企業が持ち味を活かし「私(達)は日本一だ、世界一だ」と思える程の自負と「成幸」を、近くで寄り添いながら応援する「日本一のサポーター」を目指しています。

私の使命は
「あなたは一人じゃない。周囲を巻き込んでいく事でより良く生きよう。より成長しよう」
と伝えていくことです。

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