信じ切ると言うのは、手放しで信じる事だと私は考えていて、凄く素敵な事だなあと思っていました。
が、その人のことを信用するのと、事案に対しての対応を信じ切るのでは違う事に気づきました。
事案に対して信じ切るということは、時に依存になってしまい、自分で考える事を止めてしまうこともあるのだなと。
先日、とあるプライベートな事で信じ切っていた事があったのですが、本当にそうなの?と違う方に確認をしてみると、違う見解をお話くださいました。
今まで、本当は「辻褄が合わないなあ」「でも●●さんが言っているから」と信じて、自分がダメなのかなあと思い込んできました。
が、その方のお陰で、「そういえば私もそう思っていた事があったなあ。」「なんで今まで聞かなかったんだろう」「辻褄が合うなあ」などと思えるようになり、違う根本原因を見つけたようでした。
根本原因が違えば、対策も変わってしまうので、違う見解を聞いた時には「ああっ」と混乱した気持ちをどうしたら良いのか、どう考えればいいのか解らなくて声を発してしまいました。
そうすると違う見解を教えてくれた方が「今までに色々したからこそ見えてきたものなので、仕方ないですよね。無駄ではないから、今まで良く頑張ってきましたよね。」と声をかけて下さり、泣きそうになりました。
また違う見解を闇雲に信じるのではなく、一つの選択肢を得たと思って、データをとることから始めてみようと思います。
その人の事は信じ続けられる方です。なので、事案に対し、違う方向からも考えた上で、自分もそう思う。と府落ちして、信じ続けていく事が大切なのかもな、と思いました。


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