問題がない、ことはない。
問題は転がっているものではなく、発見するもの。
今後、こういう事していきたい。けれど、今のままでは足りない。○○を身につけよう。
これも、今のままでは足りない、と未来に向けた問題を感じて、何かを身につけようとする。けれども、やったことのないことだったら、何かが見つからない事を「問題がない」と言ってしまっている人が居るだけで、「問題が何かが解らない」ことと「問題がない」ことは違うと私は考えています。
今に不満はある。ってことは、きっと不満は「思い通り」になっていないことがあると言う事だとするならば、「何が思い通りなのか」が理想で、それについての不満であれば、その不満は言い換えたら「問題」を見つけていると言う事ではないだろうか。
ただ、問題の中には、それを言っても変えられない、と言うものもある。物価高だと言ってみても、状況はそうだけれど、自分が頑張れば物価高を何とかできるわけでもない。自分が頑張れば何とかできるかも、と思えるものが、「課題」となり、課題を解決するために動く事で、望む状態に近づいていけるのではないでしょうか。
単なる愚痴になってしまうのは、自分たちが何とかできる事を言わずに留まっている状態。
自分たちで何とかできる愚痴なら、問題として扱えたら、きっと自分で不満が解消できていくのではないでしょうか。
私も誰かが何とかしてくれないかなあと思う時はたくさんあります。評論家みたいに言ってみる事だってあります。けれども、そこに大きく不満を言わないでいられるのは、自分自身が動こうとしていないと言う事を知っているからかもしれません。
反面、自分でできそうな事は、自分でしようとし過ぎて疲れてしまうこともあります。一人で頑張りすぎなくても良いのに、と私をよく知る人には言われます。
最近は、私のしたいことを手伝ってくれる人は居ないだろうか。と、自分の今の限界を知り、その後どうするかを考えると、協力者を得ることではないかと考えることも多いです。
いつか手伝ってくださる方を募る機会がでてくるかもしれませんが、これも現状の「今のままでは少ない人数にしか関われない。」事を問題として認識したからです。これから問題解決に向けて、少しずつ準備をしていこうと思います。


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