巷に情報があふれ、どのように情報をとっていくかさえ選べる時代。
あなたはどのように情報の信ぴょう性を確認していますか。
この人の言っている事なら大丈夫、と人を信じてしまうと、人は完全なわけではないので、違う場合に闇雲に信じてしまうのも危険だなと思います。
かといって、全て出所はどこか、を確認するわけにもいかないです。
検索して、出てきた答えが果たして正解なのかもわかりません。
情報が多いだけに、その情報を得る時ですら選択をしていることになります。
人前で発するときには、間違いがあってはいけないと色々と調べるのですが、情報ソースが解らないこともあります。その人の体験からの学びであれば、こういう事も一つにはある、と言う捉え方の方が良いだろう。私の体験を話してもそれすら一つの考え方に過ぎません。
時代が変われば、その正しい答えすら間違いになることだってあり得ます。
だとしたら、私達が気を付けなければいけないのは、「自分が選択している自覚」を持つことだと思います。
そして、自分の発した事に対して、疑問を持ってくれる人が居てもそれは有難いことだとも思います。
年齢を経てくると、体験が重なるほど「ゆるぎない真実」になりがちですが、あくまでも同じ方向から見た時であって、違う見方をしたら解りません。柔軟に対応したいけれど、まずは「自分がそう信じているんだな」という自覚があれば、柔軟にもなりやすいように思います。
選択している自覚は、情報を得る人にも、発する人にも重要な観点ではないでしょうか。
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